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​鈴木貫太郎記念館などを訪問

令和6年2月8日、私たち前橋鈴木貫太郎顕彰会のメンバーは、千葉県野田市を訪問しました。

前橋市内に集合し、バスで移動。最初の訪問地は、野田市関宿にある「鈴木貫太郎記念館」です。この記念館は、吉田茂首相の発案により鈴木貫太郎氏旧宅の隣接地に建設され、昭和38年には建物が完成しておりました。その後、昭和41年に関宿町に移管され、現在は野田市教育委員会が管理しております。

しかし、令和元年の台風19号の影響により雨漏りが発生し、その時の調査によりコンクリートの強度不足も明らかになり、臨時休館となっております。現在は、記念館の敷地や、エントランスホールのみ利用可能となっております。

現在、「野田市鈴木貫太郎記念館建設準備委員会」が立ち上がり、この記念館の建て替えを協議しており、当会はその支援も活動の大きな柱としております。

今回の訪問は、記念館の現状を把握することもありますが、鈴木貫太郎氏の住居であった場所を訪問し、その息吹を感じることもできました。いわば、聖地訪問です。

そして、野田市からは鈴木有野田市長もいらっしゃり、長い時間、私たちとともに過ごしてくださいました。鈴木市長や記念館学芸員の皆さんなどのやりとりの中で、野田市が現在取り組んでいる学校での鈴木貫太郎氏の学習の実践についてお話を聞いたり、前橋での連携企画などのアイデアも生まれました。

​その後、記念館から近い実相寺を訪問し、住職に読経をいただきながら鈴木貫太郎氏のお墓参りを行い、庫裡に移動して住職から鈴木貫太郎氏やたか夫人のエピソードなどもお伺いしました。

昼食を挟んで、キッコーマンの創業家である茂木家に所縁の「茂木本家美術館」を訪問し、前橋に戻りました。

​貫太郎氏の自宅跡を訪れてその息吹を感じ、今後の活動のヒントもいただける、大変有意義な1日となりました。

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記念館は、貫太郎氏自宅跡に隣接。
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鈴木有野田市長のご挨拶
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当会腰高会長から鈴木市長に手土産を贈呈。
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​集合写真。後ろの塔には「為萬世開大平」と書かれておりますが、この言葉は終戦の詔書にも使われております。

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自宅建物があった辺り

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貫太郎氏は晩年、関宿の産業振興のために、酪農を奨励しました。自宅の一角に集乳所を設置し、今でもJAの集乳所として使われております。

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敷地内にある「鈴木貫太郎翁終焉の地」の碑。吉田茂揮毫。吉田氏は外務大臣時代にこの地を訪れ、貫太郎氏に枢密院議長就任を要請しております。

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当時から使われていた門。

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貫太郎氏のお墓がある実相寺。

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門柱の文字は、貫太郎氏によるもの。そのほかにも、貫太郎氏の書や、関宿藩主久世家ゆかりのものがありました。

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鈴木貫太郎氏のお墓。

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庫裡でご住職のお話をお伺いする。この建物は、廃藩置県時に関宿城の建物の払い下げを受け、その部材を用いて建てられています。

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本堂前で記念撮影

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