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鈴木貫太郎ゆかりの場所など

前橋市立桃井小学校の石碑
群馬県前橋市の前橋市役所南側にある前橋市立桃井小学校は、鈴木貫太郎氏が卒業した小学校です。石碑に刻まれた「正直に 腹を立てずに 撓まず励め」の言葉は、昭和11年に同校の卒業生が1万人になったことを記念して、鈴木貫太郎氏が学校に贈った言葉です。この石碑は貫太郎氏直筆が刻まれており、また桃井小学校はこの言葉を「教訓」として大切に引き継ぎ、メロディをつけて今でも「教訓歌 正直に」として歌い続けております。

・場所:前橋市大手町2-16-4桃井小学校校門前

​・いつでも見学可能

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「明治天皇行在書跡」の石碑

 前橋市の国道50号沿いにある「前橋プラザ元気21」の場所は、かつては「前橋生糸改所」でした。幕末の横浜開港により、前橋は輸出生糸の生産地として栄えましたが、その品質を確保するために、1861年にこの地に「前橋生糸改所」が開設されました。明治11年に西洋建築白亜の2階建ての建物に新築され、同年9月3日の明治天皇の行幸の際に宿泊所となっております。この石碑は、海軍大将時代の貫太郎氏の揮毫によるものですが、前橋と皇室の両方に縁の人物として選ばれたのではないでしょうか。

・場所:前橋市本町2-11前橋プラザ元気21西側道路沿い。

​・いつでも見学可能。

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奉拝記念碑

 前橋市日吉町の群馬県民会館(ベイシア文化ホール)の場所には、かつて群馬県師範学校がありました。昭和9年に群馬県で行われた陸軍特別大演習の際に、昭和天皇がこの地を訪れ、授業を行い、県下の教員5,000人が奉拝したことを記念する碑です。表の「奉拝記念碑」を鈴木貫太郎氏が揮毫しております。氏は、陸軍特別大演習の際に昭和天皇に供奉したものの、途中でご母堂が危篤となり、東京の自宅に戻っております。奉拝記念碑の隣には、表に「由来記」、裏にこの地に師範学校を受け継いだ群馬大学が昭和45年までこの地にあったことを記す碑があります。

・場所:前橋市日吉町1-10-1群馬県民会館(ベイシア文化ホール敷地内)

​・イベント等がない時にはいつでも見学できます。

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県立群馬県中学校の碑

 鈴木貫太郎氏は、明治10年頃から6年ほど、前橋で生活をしております。明治14年頃に厩橋学校(現前橋市立桃井小学校)を卒業すると同時に、群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)に入学しました。群馬県中学校は明治10年に前橋城跡の一画に第十七番中学利根川学校として開校し、明治15年頃に南勢多郡小暮村(現在の前橋市富士見町小暮)に移転しております。従いまして、鈴木貫太郎氏はこの地でも学んでおります。この石碑は同行の創立80周年の際に整備され、その後道路工事の関係で100メートルほど移動しております。揮毫したのは、貫太郎氏の弟で、陸軍大将の鈴木孝雄氏です。

・場所:前橋市富士見町小暮、県道34号線そば

​・いつでも見学できますが、住宅地内にあるため、近隣住民の方へのご配慮をお願いします。

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注意:説明文中の年代が、資料によって異なったり、諸説ある部分がございます。当会担当者が入手可能な資料に基づいて記載していることをご了解下さい。また、今後当会での調査等により新たな資料が発見され、年代などが特定された場合は、内容を随時修正していき、極力正確を期するようにいたします。

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